防災講話:応災力向上への取り組みについて

~ 防災・応災・減災 サバイバルという日常 ~

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 写真-1 灼熱砂漠での水を運ぶ少女(ディブチ)


防衛施設学会令和元年度年次研究発表会(2020年2月):荻原洋聡

1 はじめに

~コペルニクス的転回@ディブチ&東日本大震災~

 筆者の物事の観方・価値観が完全にひっくり返ったのは、アフリカ・ディブチ共和国での勤務と帰国後赴任した青森県八戸市に所在する海上自衛隊八戸基地で遭遇した東日本大震災体験をおいて他にない。
ソマリア沖海賊対処行動拠点整備の事前調整業務のためディブチ共和国で目の当たりにしたのは、沙漠の灼熱地獄の厳しい自然環境と、貧困の実情であった。それを象徴する一場面(写真-1)は、炎天下、ロバの背に汚れたポリタンクを載せて水運びをする少女の姿である。「安全な水を確保するためにその水源まで片道1㎞以上歩かねばならない人達が10億人以上いる。」という俄かには信じ難い国連報告書の意味と現実を漸く理解・認識した瞬間だった。
 防災」・「応災」・「減災」を語る以前の現実世界は「サバイバルという日常」を生き抜く人々の世界だった。何不自由なく恵まれ過ぎた日本に生かされている奇跡を、真の意味で認識も感謝してもいない自分自身の認識の甘さに対する衝撃は、当時から10年余を経過した今も脳裏から消え去ることがない。

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 写真-2 東日本大震災翌日の青森県八戸市


 帰国して一冬明けた3月11日1446i。Mw9.0の一撃(写真-2)は未曾有の犠牲・被害を引き起こした。その際、津波に呑まれ辛うじて命長らえながらも、その夜の降雪・低温により多数が凍死に至った。生き残った側にも、両親と妹が行方不明で一人ぼっちとなり、生涯癒されない重い記憶を背負い続ける震災遺児の存在等に、我々はどこまで心を寄せることができるだろうか?そして、平成30年・令和元年は特に風水害による被害と犠牲が目立った。
本論では、同様の被害・犠牲が繰り返され途切れることがないのは何故か?何か見落としている肝心なことはないのか?その問題意識のもと「応災の在り方」を理屈(論)と実践検証で再考したい。

2 脅威に対する認識と対処・方策の再考

~ 疑問・問題点の摘出(思考過程)~

東日本大震災以前、筆者らは阪神淡路大震災(1995年)、新潟県中越地震(2004年)、スマトラ沖地震(2004年)等の事例研究を通して、「防災・減災」すなわち発災以前の段階で備える「防災」と、発災後の被害極限を目指す「減災」達成のためには、その間を繋ぐ「応災態勢」(ハード・ソフト)を「自助・共助・公助」各レベルでバランスよく構築し、柔軟に運用することが極めて重要なことに気づいた(表-1)。

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表-1 自助・共助・公助の時空間影響範囲イメージ


そこで、災害要因(種類)を類別し、それぞれが単独あるいは複合で発生する災害に対して、どのように応じていくか(応災)で、①発災前後(BEFORE &AFTER)の対応が異なることと、②発災直後の対応・対処能力の差異が判断を左右し、③ダメージそのものの程度に直結、④ダメージからの復旧・復興速度に直結すると考えていた(表-2)。

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表-2 災害要因・烈度の時空間での脅威認識リスト


 しかし、東日本大震災の現場では、あの大津波に巻き込まれて辛うじて命永らえながらも、その夜の降雪・低温が直接の死因となった多数の凍死犠牲者が出たことはあまり知られていない。津波という一原因・一現象を生き延びたとしても、耐寒対策が伴っていなければ生存に繋がらないという見落としと気づきである〔死因分析〕。 また、大混乱の現場への「公助」の急行派遣完了までにはどうしても時間を要し、必要な援助の手が差し伸べられないうちに犠牲者が増えていく無力感・もどかしさの極みにあった。「公助」が有する規模・威力が機能すれば多様な救援・支援が期待できるが、それが届くまで、その態勢が整うまでは「自助・共助」レベルで持ちこたえてもらう以外に手段がないという厳しい現実があった〔自助・共助・公助の長所短所と補完バランス〕。さらに、平成30年の西日本豪雨、令和元年の台風による風水害では、多数の水死犠牲者が出た。筆者は、令和元年の台風19号による濁流で覆われた道路を水しぶきを跳ね上げながら平然と車列を連ねて移動・避難する報道場面を幾つも目にした。その瞬間東日本大震災の津波の体験者(筆者)にとっては、津波に向かって自動車で避難する避難行動と重なり、それらは自殺行為に等しい行為としか理解できなかった。案ずるまでもなくその後、死者77名の4割が住宅内で、3割は車で移動中だった水没車内で発見されたとの報道に接した(毎日新聞。2019.10.17)。 豪雨に伴う土石流やがけ崩れ、河川氾濫等がもたらす破壊力は、「風水害」という柔らかな語感のカテゴリーでは収まらない。むしろ、「風水害」は「津波並みの破壊力」を有する「山津波・河川津波、海津波」の何れかであるとの脅威認識に置き換えて改めない限り、「正常化の偏見(自分に都合の悪い真実から心の目を背けて、自分に都合良いように危機を過少評価する心理傾向)」を助長してしまい、同様の悲劇が繰り返されるのではないだろうか〔脅威認識と脅威対処判断の誤り〕?以上の考察から、本論の問題意識の原点を以下の2点に絞った。
1 災害に対する脅威認識・識別根拠(基準)を災害主因(地震、津波、風水害等)に分類し、それらに対処する受身的マニュアル作成のみを以て、究極の「減災:被害の極小」に繋がるのか?死因分析に基づき、トリアージ対応の時間軸と整合する対処マニュアルであるべきではないのか(特に、不意打ちによる立ち上がり・対応対処が前提となる地震災害に対して)?
2 東日本大震災では「公助」の態勢が整うまでに失われた犠牲・被害が際立ったが、緊急救助・支援が不可欠の「自助・共助」との乖離をどのように補完し合えるのか?
そこで、次節においてはこの2点を判断基準に、まず日本全国で過去25ヵ年〔1994年1月~2020年1月〕に発生した地震の発生状況を分析して脅威対象の現状理解を試みる〔3.1節(現状・背景把握)〕。
その上で、東日本大震災等で直面し顕在化した問題点から、異常事態に遭遇した際の具体的対処手段の実地検証事例を提示・紹介することとしたい〔3.2節及び4節(実践検証)〕。

3 東日本大震災体験に基づく対策検証実践例


~ 理論と実践検証編(荻原)~

3.1 日本全国における地震発生状況データ分析
【1994年1月~2020年1月の25ヵ年分】

 筆者は、東日本大地震の余震で地面が揺れ続け、時に津波警報・注意報が発令される中、災害派遣のため部下に命令し送り出す立場(機動施設隊司令)にあった。部下の生命と安全確保のため、せめて、この一連の地震がいつどこでどのように発生しているのか?その見えざる姿を把握しなければ!という切実な想いがあった。その時、唯一自分にできると思いついたことは、地震発生の度にテレビ画面に表示される地震速報データをエクセル表に書き写していくことだけだった。しかし、あまりの地震発生回数の多さから、データの羅列記録のみでは瞬く間に収拾がつかなくなり行き詰ってしまった。そこで、『エクセル表上に、日本全国を大雑把に「震源域毎」にエリア分けをする。そして、地震発生1回につき、対応する震源域で、発生マグニチュード階級毎(体感震度ではなく)の欄(セル)に★1個をプロットする。』という単純な切り口と記録ルール(規約)に則って記録を開始したものである。詳細は「防衛施設学会平成21年度年次研究発表会(2012年2月)」を参照されたい。

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図-1 1994年から2016年の日本全国の震源域毎における地震発生回数の時空間分布


図-1は、筆者らがさらに東日本大震災以前にも遡って、1994~2019年の25ヵ年間に日本全国で発生した地震を震源域毎・発生マグニチュード毎の累計回数の時空間分布としてプロットしたものである。図中、X軸は震源域空間分布として〔北海道〕〔九州・沖縄〕に分割表示、Y軸は時間軸として1994年(手前)2019年(奥側)に分割表示、そしてZ軸は震源域毎・各1年間に発生した地震発生累積回数表示による3次元表現とした。図-1の25ヵ年(四半世紀)スケールの全貌でも、北海道付近、中央構造線沿い付近、九州・沖縄付近は他震源域に比較して地震活動が活発であると言える。また、2011年以降は東日本大震災の余震が東北地方に継続的・漸減的に群発している様子が顕著である。その中から特に、単年(1か年)スケールで、図-2「2011(H23)年_東日本大震災」及び図-3「2016(H28)年_熊本地震」に注目する。

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図-2 2011年の日本全国地震発生時空間分布


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図-3 2016年の日本全国地震発生時空間分布


図-1における2011年の一列(1ヵ年累計)分を拡大したものが図-2であり、3月11日以降の地震発生が如何に激しいものであったか鮮明に可視化されている。
また、図-1における2016年の一列(1ヵ年累計)分を拡大した図-3は、被害が甚大であった熊本地震に意識が集中しがちであるが、2016年2月には100名超が犠牲となった台湾地震後、沖縄近海で群発地震が発生し、桜島噴火後、熊本地震が発生した。その後、中央構造線沿いを這うように伝播継続し、年末には鳥取沖地震が発生している。この一連の現象を時空間系列で俯瞰するならば、沖縄トラフ沿いに南西から北東方向へと歪解放現象(地震)が伝播・発生しているようにも見える。その一方で南海トラフ沿いの地震活動は静穏に見えることは歪蓄積の段階にあるとも考えられ、いずれその歪解放が南海トラフ地震の引き金になるという見方もできる。
図-1の25ヵ年スケールと、その構成部分となる1ヵ年スケール(図-1における2011年及び2016年)の関係性は、A. Bejan提唱の「コンストラクタル理論」に基づく、生物・無生物に共通する樹状(階層)構造、樹木の樹形(葉、枝、全体構造)に見られる「フラクタル構造」にも類似していることは興味深い現象である。

 さらに、地震発生回数の時空間分布上に、国土地理院が作成した1997~2017年の日本全国GPS水平移動距離のアニメーション・プロットを重ねて表示したものが図-4である。特に2011年以降、日本全国のGPSデータの水平挙動はそれ以前に比べて劇的な水平方向変動を示している。その20ヵ年の累積水平変位量から逆算・推算すると、日本付近では主として3か所に回転軸を持ち、かつ、連続体として異なる回転方向を有する回転運動が作用しているように見える(図-4)。これらを統合的に組み合わせると、日本列島は東日本側と西日本側とでは異なる方向から日本本土を押し曲げようとする2本の単純梁の組み合わせで構成され、その2本の単純梁がフォッサマグナ付近で支点を共有する構造と捉えることができる。日本列島の背骨(脊梁山脈)が逆S字形を形成していることにも符号することは興味深い(図-5)。このように、地震発生回数とGPS水平移動の変化が対応付けられる一例である。さらに、2016年の台湾~沖縄~桜島噴火~熊本地震~鳥取沖地震と、沖縄トラフに沿う一連の地震発生状況は、現時点では比較的に静穏ではあるものの、何れ発生が予想される南海トラフ地震の予兆現象であると筆者らは理解している。その対策にあたり、多様な可視化を併用することによって具体的解釈方法の展開が期待できる(図-4、図-5)。

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図-4 GPS水平変位量(1997-2017年:国土地理院)
出典:国土地理院ホームページ(https://www.gsi.go.jp/kanshi/index.html)
電子基準点がとらえた日本列島の地殻変動(動画)を加工して作成


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図-5 日本列島に作用している応力背景


3.2 東日本大震災体験に基づく耐寒検証事例

(1) 死因分析:1時間以内の救助の必要性~
「72時間の壁」という幻想 VS 「1時間以内の壁」という厳実・事実~

 阪神淡路大震災及び東日本大震災等における死因分析が徐々に進んでいる。地震メカニズム、発生場所、時間帯等により死因は多様である。QQ防災クラブ等は阪神淡路大震災における死因分析の「72時間(3日間)が人命救助の限界目安」という時間スケールでの解析をさらに進め、発災後1時間以内に約6割が落命した事実と、具体的現実的な近隣共助の手段確保が延命に直結することに着目した(図-6)。
また、東日本大震災を体験した筆者としては、被災者が「厳冬期・夜間・屋外」という凍える数時間の環境を生き延びることを最低条件とした応災対策を追究する動機となった。

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図-6 死因分析と近隣共助の重要性(QQ防災クラブ)


(2) 検証項目事例
~ 「厳冬期・夜間・屋外」を凌ぐために ~

 阪神淡路大地震以降の震度7以上の地震被害分析に基づいて地震被害事象の特徴を分類し、被災者や避難拠点で生じた不具合・問題点を導出した。それらを個人ベースで対応・処置可能な手段を考察した。
特に、八戸航空基地隊勤務時に体験した「雪中救難訓練」実施時の装備や救難訓練項目を参考にした。現在も継続中の主な検証項目は以下のとおりである。(表-3)

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表-3 過去の震度7以上の地震被害分析に基づき導出した問題認識と実地検証中の実施項目


ア 防風雨雪・防寒 ~ 雨露を凌ぐテント ~

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写真-4 官舎窓開放・八戸越冬隊による越冬検証


 2004年の新潟県中越地震の避難場所(体育館)では、プライバシー確保ができないとの理由で車両内避難の結果エコノミー症候群による犠牲が多発した。体育館のような広大なスペースがあるなら家族単位のテントで犠牲回避できたのではないか?との問題意識を抱いていた。八戸勤務は単身赴任という自由気儘な環境(家族への配慮不要)の下、敢て官舎のガス契約をせず、電気・水道の契約のみで窓を解放し室内にテントを展張したまま、そこでの起居により3冬を過ごして検証した(八戸越冬隊長記録参照)。八戸の厳冬期1月は零下10℃を下回る期間もあるが、インナーをフライシートで覆う空気断熱2層構造となるテント内は、自身の体温のみで15℃前後を維持できる快適空間であることを実証・体得できた。

イ マイ防災バッグ

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写真-5 マイ防災バッグ(中)の携行内容物


雨・風・露・雪を遮る空間が確保できた後は、生命を維持・繋ぐための「食」確保の可否が致命的となる。その手段として「マイ防災バッグ」が如何にあるべきかを追究している。特に配慮している点は“Simple is the Best !”、特殊な器材・燃料や複雑精密な器具でないことである。「厳冬期・夜間・屋外」の被災時を想定して以下の基本セットを各バッグに収納している。発災直後の気が動転している状態から、ある程度心の余裕ができる段階に応じて、楽器(フルート・ミニサックス)を含む必要最小限であっても、確実に機能する物品を選別収集し試行・試用継続中である。まずはお腹を満たし(腹と身体の足し)、やがて心を満たす(心の足し)ニーズの時間・心理状況変化も考慮・反映している。
1 火打ち石(マッチ不要で30000回点火可能)
2 THERMOS保温水筒+浄水キット(SAWYER)
3 マグカップ類(チタン製2層:保温タイプ)
4 食器(折り畳みスプーン・フォーク・箸)
5 火力源(ガスコンロ)
6 発電・充電機能付きBBQコンロ(木材燃料)
7 携行食品(チョコレート、ナッツ等)
8 ペットボトルの米(晴天の霹靂2合分)
9 太陽光充電によるLED照明器具 等

ウ 通信手段の確保(アマチュア無線)

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写真-6 通信手段の確保(アマチュア無線局開局)


 東日本大震災では発災後間もなく電話回線などの通信手段が遮断・途絶された反省から、筆者が取得済みのアマチュア無線免許(3級)でアマチュア無線局を再開局した(C/S:JJ1-JSR)。送信出力50Wで運用が可能であり、基地局(50W)と子局(10W)の親子構成としている(写真-6)。今後、地元の防災訓練等において、伝播覆域等の検証を進めたい。
上記の他、収集・集積した各種装具類等を以て、2018年2月21日~22日にかけ、岩手県久慈市久慈城址の山中(二之郭付近)において初体験者2名と共に雪中検証を行った。冬山縦走1週間前提の装具があれば、「厳寒期・夜間・屋外」においても概ね必要・十分条件を満足し、サバイバル可能との実感を得る貴重な検証実績・知見蓄積となった(写真-7)。
一連の体当たり的な行動は、第1次南極越冬隊長(西堀榮三郎氏本人)の「まずはやってみなはれ!」・「石をたたけば渡れない!」・「五分の虫にも一寸の魂!」・「出る杭を伸ばす!」の肉声講演メッセージを高校時に聴いて以来、それを人生訓とした延長上にある。「やってみなければ分からないし、納得もできなかった!」と改めて原点を反芻し納得している。

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写真-7 岩手県久慈市久慈城址での冬季耐寒検証


 以上の実地検証を経て、避難期間の長期化と活動範囲(1日~数日~1週間程度)に応じた小(1個)・中(2個)・大(2個)の3種類のザックに装備品を分類収納し、状況に応じ何時でも持ち出せるように自宅2階(浸水対策上)の自室押入れに格納している。また、中サイズの1個は勤務先の事務所に常備している。単に「揃えて置いている」だけに留まらず、日常の食事や業務においてもそれらを積極使用して使い慣れ、使いこなす維持力向上に努めている。

4 日本各地の具体的な対策取り組み事例

~ 地域特有の災害現象を考慮した取り組み ~

 令和元年内に筆者自らが訪問取材・体験し、特に印象に遺る4件の災害対処訓練・取り組み事例を紹介したい。何れも他人任せ(ひとごと)ではなく、自らの生命・生業(なりわい)を営み続ける熱い想いが基底に在る。その心の姿勢と具体的な取り組みに衝撃と感銘を受けた事例である。また、各地特有の自然・気象条件等の相違から、発生確率の高い災害現象にも相違・多様性があることを再認識するに到った。既定概念に捉われず、自ら考え、創意工夫・試行錯誤しながら、たゆまぬ研鑽を継続する重要性を痛感させられた「自助・共助」レベルの代表的好事例と言える。

4-1 北海道・知床_斜里町_ウトロ地区津波避難訓練
~ 厳冬期・流氷の「氷塊混じりの津波」の想定 ~

 知床半島先端の国立公園地域に隣接する斜里(しゃり)町ウトロ地区は人口約1500名の地区に、年間150万人超の観光客が来訪する観光地である。日々4000人以上の外来者が滞在している環境で、網走沖の活断層による海底地震発生後は10数分で津波が襲うという想定下、2019年2月、流氷が接岸する厳寒期にウトロ地区・内閣府合同で津波避難訓練が実施・検証され筆者も参加した。部外者を含む観光道路沿いの除雪ボランティア作業に引き続く避難訓練である。東日本大震災の津波に流氷塊が混じっていたら?と戦慄を覚えた想定だった。訓練実施担当者は、訓練とはいえ実際の津波避難警報サイレンを吹鳴することが、不特定多数の観光客のパニックを誘発するのでは?という深刻な危惧を懐いていた。しかし何と!それは杞憂に終わった。北国の建物は殆んどが2重窓構造となっているので断熱・遮音性が高く、津波警報(音波)は室内には届かず聞こえないという新鮮、かつ、当たり前な?それでいて意外な発見があった。この一事例が示すように、その土地特有の災害形態を配慮した自助・共助態勢構築と検証の重要性を再認識させられた。また、高齢者等だけでなく多数の観光客は現地地理に疎い隠れた避難弱者としての考慮・対処の必要性を痛感した。

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写真-8 流氷着岸の北海道知床半島ウトロ地区


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写真-9 国道334号線沿い除雪ボランティア作業後、高台の避難場所への津波避難訓練に移行


4-2 八戸市・高館(たかだて)連合町内会避難訓練
~自助・共助の確認検証(シャッター防災倉庫)~

 海上自衛隊八戸航空基地に隣接する高館(たかだて)連合町内会は高台(海抜約40m超)に位置し東日本大震災時に八戸市民の津波避難の目的地になったことから、毎年11月に多様な避難訓練を継続実施している。特に2019年11月は青年部企画により、「自助の限界」と「共助による発展可能性」を検証する避難訓練を企画実施した。その際、各家庭で準備している防災グッズ等を持参し、各町内会代表に何を持参したかを展示・説明してもらった。各自が持ち出すものが「自助」であると同時に数量の限界は「自助の限界」である。しかし、各自持ち出したものを差し出し集めると「自助の限界を超えること」ができるようになる。それこそが「共助の可能性と拡張」である。「自助・共助」の意味を全員参加で認識共有進化する効果的な訓練手法事例である。

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写真-10 八戸市・守田邸のシャッター防災倉庫と高館地区避難訓練チラシ(2019年11月)


4-3 QQ防災クラブ(神奈川県秦野市千村台団地)
~ 自助・共助のハード・ソフト統合力 ~

 

神奈川県秦野市千村台の自主防災組織・QQ防災クラブは、阪神淡路大震災における死因分析(図-6)の考察から、公助来援までの1時間以内の救命・救急を最優先とし、自助・共助態勢を「一時(いっとき)避難場所」として構築・推進している。設置箇所は各戸が日常使用しているゴミステーションそのものであると同時に(写真-11)、「いっとき避難場所」は近傍の「作業指揮所」の機能を果たすことになる(写真-12)。大規模な地域避難拠点に頼るのではなく、人間の通常行動領域(約半径50m)圏内でアクセス可能であり、アメーバが各個単位・自己完結的に活発に動き回るように「自助・共助」の各箇所の救命拠点が有効に機能している(図-7)。また救命ボックスを各自宅から近い「一時(いっとき)避難場所」に設置したことにより、周囲住民の認識は「今まで防災倉庫に入っている資機材は、自主防災会の本部役員が使う物という感じだったのが、自分たちの道具と思うようになった。」と大きく変化しているとのことである。他人事ではなく我が事としての強い近隣一帯連帯意識が醸成されている証左である。公助が及ぶまでの隙間時空間を補完しうる理想的な自助共助事例であろう(2019年まちづくり大賞受賞)。

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写真-11「ゴミステーション」「いっとき避難場所」


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写真-12「いっとき避難場所」「作業指揮所」


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図-7「いっとき避難場所」選定・設定の工夫


4-4 災害で絶える事の無い生業(なりわい)の環境創り(未来永劫持続可能性を求めて)

 BCP(Business Continuity Plan)は企業の事業継続としてホットなキーワードの一つだが、その構成単位である個人生命のLCP(Live Continuity Plan)こそが根底にあるべきと考えている。筆者らは津波の破壊力は核兵器並みと認識しているが、東日本大震災から間もなく10年目を迎えようとする今日でも復興道半ばの事案が多々ある中、気仙沼の牡蠣じいさん・畠山重篤氏は東日本大震災の大津波で壊滅的な被害を受けながら、その翌年にはそれまでの日常と生業(なりわい)を取り戻す驚異的な立ち直りを示した(写真-13)。その実現は平成元年から漁師達が上流の森の植林を始めた長い努力の結晶・賜物だ。
森が育むミネラル等の栄養は、河川を辿り流れ込む気仙沼の海のプランクトンを豊かに育む大循環を構築していた。それは大津波にも奪われることなく、豊富な牡蠣の稚貝と共に生き残っていたからである。

NPO法人 森は海の恋人:http://www.mori-umi.org/

 

畠山氏の講演で聴いたメッセージは、災害発生前後の比較的近視眼的短期間の視点ではなく、一生涯のライフワークの時空間スケールにおいて、災害を受け止めて乗り越えていく知恵の神髄が具現化された事例だと考える。自然の中で生き生かされている、生きとし生けるものには限られたそれぞれの時間がある(はじめとおわり)。誰にも等しく「たった一度きりの限りある命」を自然の環・循環の中に関わって一体となる生き方が、やがて「はじめもおわりもない、永遠」という環・循環へと昇華して続いていくのだろう。

5 おわりに:荻原の余生の魂のミッション

~持続可能(SDGs)な応災力醸成に向かって~

 災害は忘れたくてもやって来るが、それに晒され途切れることのない悲劇を繰り返さないことを原点に、蟷螂の斧をやみくもに振り回す気持ちで悪戦苦闘を続けている。これまでの体験・学びから、
~ 各災害は、起きるべくして起きている!
~ 風水害とは山津波・河川津波・海津波の何れかと心得よ! ~
~ 災害の前後だけを考えるのではなく、生業(なりわい)を持続可能とするために必要な環境創りと、「働き方」ではなく「生(活)き方」改革こそ、再考すべき問題といった一連の疑問を懐き始めている。

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写真-14 ユスフ・荻原_魂のミッション(SDK暖簾)


筆者の最終目標である移動喫茶【SALON_DE_KATA(サロン・ド・カータ)〔サロン・土方のオヤジギャグ〕】の運用は、既に宮城県栗原市で活動中の僧侶・金田諦應氏の「Cafe de MONK」の移動傾聴喫茶活動を参考にしている。Monkとは(Monk:僧侶の意)と同時に、発音(もんく)を「悶苦・文句」に掛けた被災者住宅等を巡りながら傾聴・癒しを行う地道な活動である。持続可能かつ自己完結的な身の丈に応じた日常の中で自ずと成立しているような、移動喫茶運用を目指している(調理師免取得済み)(写真-14)。具体的には以下の主テーマを設定している。
1 東北地方等の復興住宅巡りをしながら元気を取り戻す一助となり、
2 米村でんじろう先生流儀の鮮やかな可視化による防災サイエンス的な出前講座等により、防災・応災・減災の意識醸成の場とする。
3 平時は、元気・癒し・励ましの場として、
4 災害時はそのまま、被災者への炊き出し屋台(食事提供機能)として運用する。
5 あるいは、当面・当座の日常社会問題となっている子ども食堂(日々)の一助としての活用もできよう。一方的に食事を与えるというのではなく、共に調理してそれを囲んで仲間といただくという一連の所作を通じて、料理する楽しさ、喜んでもらえる喜びを共有して共育〔自らも子ども達と共(友)に育つ〕する。 そのような活動の場を通じて、大言壮語する事無く、デクノボー精神(雨ニモマケズ・・)で世の為人の為の一助である生き方(働き方ではなく)を試みたいと考えている。「防災」とは、単に災害・災いへの対処が目的ではなく、それを乗り越え永く生き抜く智慧(サバイバル)としての「応災力」であるべきとの視点から、再考・検証を継続する所存である。


参考文献

1) 防災QQクラブ teamQQ244@gmail.com
2) 電子基準点がとらえた日本列島の地殻変動(国交省国土地理院)
3) 畠山 重篤 , 鵜飼 哲夫:牡蠣の森と生きる-「森は海の恋人」の30年 中央公論新社pp1-176, 2019

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